最後の審判
1996.10.28〜11.04
 
イタリア ミラノ フィレンツェの旅
文・すずはら篠

イタリア・ミラノ・アルペンサ空港に到着。市内までのシャトルバスのチケットを入手し(1人13,000リラ・約1,300円)出発まで30分ほどあるので、その間に日本にTEL。しかし、なぜか定刻より10分も早くバスは来て発車してしまった。ぼー然とする2人。
いっそチケットを払い戻してタクシーで市内へ向かうか、とも思うが、タクシー代は130,000リラと、バスの10倍もするのでためらわられる。と、そこへ定刻通りのバスが現れ、我々は無事にミラノ中央駅行きに乗り込んだ。
いったい10分前のあのバスは、何だったんだ?

ホテルは市内の中心、大教会ドゥオモのすぐ裏手ガレリアの端にある、ホテル・アンバシアトリ。黒人で日本語・英語・イタリア語を話す陽気なフロントスタッフがいる。
部屋はとても天井が高いが、殺風景。そしてバスタブにはシャワーカーテンはなかった・・・。(フィレンツェも同様)

どうも

ドゥオモは市の中心地で買い物の中心地でもある。ゆえに(・・・かどうかは知らないが)手頃な価格のレストランがない。バール(BAR)という酒と菓子しか置いていない店だけ、総じてイタリア国内の食事は高価かった。日本(東京)と大差ない。リゾットやパスタ1皿が1.200~2.200円はする。レストランで一度食べれば、100,000リラ(約10,000円)なんてざらである。

これだったら、料理の内容や値段で店を選べる日本のイタメシ屋の方がいいのでは。
けれど、食材は明らかにイタリアの方が上。市内の市場でみかけた野菜、果物、肉類その他の何と美しくもおいしそうだったことか。

イタリアはカフェ=コーヒーの国である。したがって紅茶は迫害されている。(モンテ・ナポリオーネ)という高級ブティック街にある有名なカフェで、メニューにTeaがあり、数種類葉も示してあったので喜んで頼んだら、ポットと一緒にティーバッグ出してきやがった!
(ちなみにトワイニングのアフタヌーンティ)これで9,000リラとるんか?OH マイガッである。ホテルの朝食のリプトンティーバッグの方が牛乳入れて(シリアル用に出してある)飲めるだけマシであった。そしてその後もティーバック攻撃は続く。私は思う。イタリアでちゃんとした紅茶を出すティールームを日本人が大好きなブランドショップの通りのそばに置けば、きっと繁盛するに違いないと。

市の中心からバスで15分ほどの所に、エルメスの職人がエルメスと同じ革とデザインを使い、エルメスの許可を得て開いた、エルメスのバッタもんの店「High Class」がある。
ここは日本のマスコミに宣伝されたおかげで、今や注文した品が4ヶ月待たないと手に入らないと言う騒ぎだ。
何しろエルメスのケリータイプのバッグで見ると、本物が70万するところを、ここだと4万で(本物そっくり)手に入るのだ。しかし、店に気にいった品は無く、あえなく撤収となる。

日本から用意していった変換プラグはイタリアでは使えなかったので、せっかく買った湯沸かし棒は使用不能。そしてドゥオモ付近には電気屋はない。ビデオ撮影は20分までと決まった。
途中で一度電気屋を見つけはしたが、プラグの現物を持っていなかったので、説明できずプラグは手に入らない。
スーパーマーケットでパスタをおみやげに仕込む。
アンティークショップでガーネット・トパーズ・ペリドットの古い指輪を見つけて、80,000リラを72,000リラに値切って入手。
その後入った「Chirlie」というバールで、店のシンボルである巨大な犬、チャーリーに会う。大人しいというより威厳のある犬で、彼こそがこの店のオーナーに違いないと思わせた。この店、なんとトイレがインドネシアスタイルで、足場におがくずが撒いてあった・・・。

夜はとても冷えた。ガイドブックにあったシーフードの店にタクシーで(ホテルから歩いていける距離にロクな店はない)向かう。
有名な店だったが、開店直後だったので入れてもらえた。美味しかった。以後、ガイドブックに載っているような店は、前日までの予約が必要、と後々思い知るが、我々はその夜の幸運にまだ気づかない。

ミラノからフィレンツェへ列車の旅としゃれよう。
飛行機は一応とってあったが「世界の車窓から」を気取りたい。幸い籍の予約はうまくいっていた。
ミラノ中央駅。プラットホームまでは難なく通過。しかし日本の列車と違い、乗り口が高い位置にあるので、大型トランクはしんどい。しかも二等車で6人用コンパートメントには、そんな大きい荷物を置く場所はなく、仕方ないので通路に置いた。
列車は込んでいて、通路の非常席にも人が座る。スーツケースは彼らのひじかけとして使用される。まぁ、しょうがない。
そして切符の拝見、と車掌さんがやってきた。通路に座ったチャイニーズが、何やらトラブルらしく、どうも行き先と切符の内容が違ったらしい。嫌な予感。
差し出したチケットを見て、車掌がイタリア語で何か言っている。わからないでいると、英語で書かれた規約表を見せた。なになに?
「入場と日付のスタンプを押してない切符は、10,000リラの罰金」
完璧にここまでやってきたのに、大ショック。そうか、日本は切符を持っていることが絶対だけど、こちらは日付のスタンプこそが重要なのだ。そういえばミラノのバス地下鉄一日券も、日付の印字をしてたよなぁ。
そんな騒ぎと突然現れた深い霧に、風景はぼかされ「世界の車窓から」のもくろみは失敗。残念。

フィレンツェには3時間ほどで到着。
ホテル ポルタロッサは市内最古のホテルという。ゆかしい内装と広い広い部屋が嬉しい。大きなアンティークのクローゼットや鏡台がある。やはり天井は高く、窓にはステップと鎧戸。ムード満点。

街へと出る。客引きのおじさんに引っかかる。
るるぶに写真を載せたことがあると言って、私がるるぶを持っていると言うと、40%OFFにするから、自分の店に来い、だった。体よく断ると、食い下がるおやじは私たちの名前を聞いた。
イタリアン・ネームをつけてくれるという。わたしの「まさみ」に「マルシア」だって!そして同行の彼女も「まさみ」(同名なのだ)と聞くと、おやじは「マルシア1andマルシア2」だと。1号2号か、仮面ライダーか、私らは。

イタリアでも日本のアニメは大人気。「セーラームーン」はおもちゃ屋にあふれ、TVでは「らんま1/2」「姫ちゃんのリボン」「北斗の拳」「ハローサンディベル」「魔法少女ペルシャ」などをやっていた。女の子向けが多いのは何故だろう?

フィレンツェ2日目は(11/1)イタリアの祭日で、店も美術館ものきなみ休み。それでもやっている所を捜して行く。
ダビデ(バレンチノの展示あり)フラ・アンジェリコの「受胎告知」メディチ家の協会etc。
行く先々で妙なディスプレイが目につく。後で知ったが、一流ブランドデザイナーやアーティストの作品を、フィレンツェ市内の城や美術館に分散して展示する催しが開催されていたのだった。それがわかったのは帰る前日の夜だった。悔しがっても遅い・・・。
一番悔しかったのは、ゴルチェの展示。見ていてたのに気づかなかった(知らなかった)なんて・・・。これはまた後ほど。

フィレンツェはミラノより格段に寒い。しかしホテルは暖房を入れてくれず、聞くと11/1から、それも夜の9時からだという。なんてこった。
その上、手頃なトラットリア(レストランより安価)が見つからず、夜の道をさまよう。ガイドブック(ガリバー)に載っていた店は行方不明。結局ホテルの側ですませるが、美味しくない。

フィレンツェ3日目(11/2)やっと街が動き出す。

ピッティ宮の後、いよいよかの「解体されたヴィーナス」のおわすラ・スペコラ美術館へ。ピッティのすぐそばなのだ。あの写真を見て、フィレンツェに来た以上、行かぬ手はない。18世紀に実際に解体した死体をもとに、医学用に作られた、蝋細工の解剖死体。考えただけでも凄そうだ。今夜、お肉食べられるかしら・・・。
しかし、あにはからんや、そこは小学生と先生、ご両親が見学に訪れる、ふつーの博物館だった。全ての生物の剥製、蝋細工。ロンドンの自然史博物館のミニチュア版だ。少々拍子抜け。
しかし、ロンドンと決定的に違う物が奥の方に眠っていた。
人間の解剖蝋人形館。
しかし・・・何か様子が変だぞ。
内臓をかき出された女性が入ったガラスの棺を、白いレースのカーテンが覆い、棺の上にはバラの花びらとローズパウダーがふりかけられ、いい香りが漂う。棺の下には内臓のイラストがプリントされたTシャツを着たマネキンが横たわっている。何なの?これ。
そして後で知るのだが、このディスプレイこそ、J.P.ゴルチェのそれだったのだ。
私は抱いていたイメージとの落差と場内フラッシュ禁止のダメージで、自分がビデオを背負っていることを失念し、この素晴らしい博物館を撮影し忘れてしまったのだ。
くやしい〜。
それでもやはり、妊婦のひらきと胎児のひらき、男性器のひらきはインパクトあったです。

ウフィッツィ美術館にはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」だの「春」だの、その他もろもろ、超有名作品が目白押しなので、入場にはすごく並ぶ。石畳の上で一時間待ち。コミケット以外でこんなに並ぶなんて。でも、並んだ甲斐のある作品群でしたが。

 

イタリアの美術館は、その作品の数がものすごい。ロンドンなんかと比べると、あっちはぶんどってきたものたちで、こっちは自前で生産したものの差なのかな、と思う。もっともファッションと料理以外の現代のイタリアは、これ、という目玉もないし、ルネッサンスでエネルギーと才能を使い果たして、あとはそれらの維持で精一杯なのかな、とも思う。政事は汚職だし、スポーツもサッカーぐらいだし・・・。
サッカーと言えばミラノ市内で、日本人の若い男性ばかりのツアーに会ったが、どうもあれ、イタリアにサッカー観戦、て感じでした。
もうオレオレ状態。

さて、最終日、最後のトラブル大一番!
フィレンツェ空港までタクシーで約20分。到着してチェックインしようとすると、霧のため空港が閉鎖されて、バスで1時間行った郊外のピサ空港へ移動、とのこと。この場で東京までチェックインでき、荷物も預けられるというので、ラッキー、とお願いする。なるほど、言われてみれば辺りは濃霧だ。
バスに乗るときに我々の名前が、チェックリストに載っていなかった(すぐ、トランシーバーで確認されたが)時から、すでにアクシデントは始まっていたのだ。
ピサ空港からミラノまでは小一時間もかからない。到着して免税手続きを済ませ、D.F.Sで最後の買い物・・・。そしてAZ788が1:55発から4:40に遅れたことに気づく。ミラノからチェックインしたお客さんが、レストランチケットをもらったと教えてくれたが、私たちはもらっていなかったので、頼んで用意してもらう。レストラン(社員食堂)で昼食をすませ、1時間とちょっと、やっと(予定より30分遅れて)ボーディングが始まった。
荷物の場所を確保するために、早めに列に並ぶ。しかし、私たちのチケットは受け付けてもらえない!なぜ?
係員が言うことにゃ、
「何が起きたのかわからないが、この席はもうふさがっている。喫煙席ならあいてるがどうするか?」
どうするもこうするもなかろーが!そっちのミスなのに!ファーストクラスないのか、この機種は!!!
しかたなく喫煙席に座る。少し手こずったが、禁煙席をあてがわれて困っていた日本人のスモーカーが声をかけてくれ、今、この禁煙席でこれを書いている。同行者とは席が泣き別れたが、臭い煙の中よりは全然マシだ。
そして残る心配は・・・果たして預けたスーツケースが、ちゃんとこの飛行機に積み込まれているかどうかだ!成田でベネトンの赤緑のケースに会えることを祈りつつ・・・。

1996.11.03 アリタリア788機内にて。

追伸・スーツケースは無事到着!YAhooo!