インドネシア大病旅行記
文:伊吹巡 Ibuki-Meguru


これでついに4回目のインドネシア旅行。
私は1992年4月から、朝日カルチャーセンターの「インドネシア語講座・入門」に通い始めた。出発予定の9月には、一通り講座の授業も終わる。成果はとても期待されていたが、本人は本当にこれで通じるのだろうかと、不安ばかりを感じていた。まったく疑わしいことこのうえない。
だが今までどうしても行く機会に恵まれなかった、ボロブドール遺跡を今回こそは見るんだ!と、たいへん意気込んではいた。
バリ島では友人達3グループと合流予定、最初は2人、最後は十二人にもなろうと言う、大パーティを組むはずだったのだが…
人生とは思うようにはいかないものだ・・・その見本のような、トラブル旅行となってしまった。
※チケット代金※ ガルーダインドネシア・21日FIX・エコノミー
ストップオーバー2回・\114,000-

伏線か前触れか

92,9,27

仕事の徹夜明けでふらふらしているすずはらと、緊張でいまいち眠りそこなって3時間睡眠の私(伊吹巡)は、昨日のうちに飼い猫を近所の友人の実家に預け、飼い魚のベタを近所の友人に預け、夏の間の害虫駆除だ、とばかりにバルサンを3個焚いて家を出発した。
だが!朝食を取りながらインドネシア語の復習を…とのんきに本を読んでいた私は、それを机の上に置き忘れてしまったのだ。中央線を中野で快速に乗り換える際に、それにやっと気付いた。
「辞書がないと、絶対困る。あれ、英語も乗ってるし便利なはずだもん。あれがなかったら、にっちもさっちもいかない!」
どこの本屋もまだ閉まっている。成田空港の本屋で、あれが必ず売っているとは限らない。インドネシア語は、英語やフランス語と違ってマイナーな言語だし、そんなに簡単に売っているとは思えなかった。だが、実際はどうも売っていたらしい。JTBの外国語会話シリーズは、その使い勝手の良さもあいまって、どんな本屋にも必ず置いてある。そしてインドネシア語は、なんと英語版と同時に発行されてたようだ。何故?けっこうマイナーな言語だと思っていたのに。
「とにかく、先に成田行って。ライナー予約してあるし、エアチケット渡しとくから、出来たらチェックインしてて」
「パスポートいるんじゃないの?」
「わかんない…もし必要なら、そこでまってて」
(*実はチェックインするには、パスポートとエアチケットが必要)
と言うわけで、私は急遽引き返す事にした。
戻った家の中は、予想通りバルサンの煙で真っ白だった。息を止めて突入したが、やはり気分が悪くなってしまった。滅多に走らないのに、全速力で走って、体力を使い果たしたからかもしれない。

駅に戻って、ふと成田エクスプレス(NEX)の存在に気がついた。もう上野へ行ってもライナーには間に合わない。次のライナーが何時に出るのかも判らない。
「下手したら、チェックイン出来ないかもしれない…こうなったら、賭けてみるか」
NEXはすでにほとんど満席だったが、グリーン車が一席だけあいていると言う。
「それでいいです!下さい!」
思いがけない出費。こんな贅沢な成田行きは、生まれて初めて。そして、二度とないんじゃないだろうか。
なんとグリーン車では、ジュース・コーヒーが飲み放題。作りつけのボックスから、どれでもいくらでも自由に取り出せるし、席は一つ一つ窓を向いていて、これ以上ないぐらいに快適だ。くそう、これが金持ちの席と言う奴だな。
さあ、もうすぐ出発だ。車内の時計を見ると、もうライナーも出てる時間だな。これで行ったら…二十分ぐらい遅れるけど、チェックインには悠々間に合うはず。楽勝〜。

だがその頃、すでにライナーで出発したはずのすずはらは、上野で私を待っていた。時間的に一本あとのライナーでも間に合うし、一人で成田へ行くのなんて嫌だ。成田まで時間を持て余すだろうし、心細いじゃないか。

上野でライナーの予約を変更し、三十分ほど上野で待ち続けたが、すでにNEXで成田へ向かった私が知るはずもなく、待てどくらせど私は来ない。
四十一分発のライナーを三十九分まで待ったが、気配すらない。何かあったのだろうか…すずはらはとてつもない不安とストレスの中、あきらめてライナーに乗車せざるを得なかった。その途端、徹夜の限界がすずはらに襲いかかり、まるで気を失うように眠り込み、成田まで爆睡する。おかげであっと言う間に成田に着くのだが…。

「ああ、成田までずっと眠りこんでしまうんなら、さっさと先に行けば良かった」
と、すずはらはぼやくのだった。
一方、成田に到着した私は、すずはらが待っているはずのライナーの到着ロビー、そしてチェックインするはずのカウンター、などをうろつくがすずはらはいない。
「…どうしちゃったの?」
まさか置いて行かれたのでは。エアチケットはすずはらが持っているし、このまますずはらに会えなかったら、私は成田に置き去り?茫然としながら、再びライナーの到着口に向かう。エスカレーターを何度も降りて、地下の通路…。
「いた!」
エスカレーターに見覚えのある赤いカバンが乗っている。今、着いたライナーに乗っていたらしい。これって、どういう事?鬼のように怒り心頭に達した私と、気を使って外したすずはらは、お互いの主張を譲らず、チェックイン後のロビーでもめる。

「勝手に予定変更しないでよ、先に行って欲しいと言ったのに、どうして指示通りにしてくんないの。先に行ってるはずだっていう前提があるから、NEXで来たんじゃないの」
「そりゃー、そーだけどー、あたしだってすごい心配したんだからー」
「最初の設定、勝手に変えたら、つじつまあわなくなるの当然でしょ!」
空港使用料チケットの自動販売機の前で、しばし言い争いになった。しかし、成田空港がすいてて良かった。これだけ時間ロスしても、あわただしいとは言え、無事に出国し、飛行機にも乗り込めたのだから。

さいさきの悪い出だしとなったが、これが旅の厄落としになった訳ではなかった。それはこれから起こる全てのトラブルの、前哨戦にすぎなかったのだった。
定刻通りに、ガルーダGA873便は、何事もなく成田を出発。
搭乗時間は、10:20。座席は禁煙席で、25FとE。もっと禁煙席が多いといいのにな。私にとって、飛行機の離陸は相変わらず鬼門だ。緊張するし、心臓がどきどきして震えがくる。これさえなきゃなぁ。Gが怖いわけでもないし、空を飛ぶのが信用できない訳でもないが、足の下が無い、と思うといてもたってもいられない気持ちに陥る。

「…あ、飛ぶ飛ぶ…」
座席はビジネスクラスとエコノミーのちょうど境目、列の一番前。割とすいていたので、隣に座るはずだった外人のお兄さんは、飛ぶとすぐに窓際の開いていた席に移って行った。私たちの荷物も、スチュワーデスさんに足元から、扉脇の方へ移動してもらえた。
「席二つ開いたから、横になったら?」
と言うわけで、すずはらは食事のあと、ずっと眠りっぱなし。私は本を成田買えなかったために、時間を持て余していた。エアコンが直撃でかなり寒い。毛布もなかなかもらえなかった。風邪ぎみだったすずはらは、鼻風邪が爆発して、大変な事になっている。

行きの機内映画は、アメリカのコメディードラマらしい。うだつの上がらないおっさんが、子連れの未亡人と結婚するために、社長令嬢が所属する女子サッカーチームのコーチになる。だが、ちっともうまくいかない為に、その未亡人の息子(美少年)を女装させて助っ人にかり出す、と言う話だ。イカレてるなぁ、すげぇ。この坊や、女装しても似合うんだから、困るよな…と、結構面白く観賞させてもらった。

第一章 ここはインドネシア

ジャカルタのスカルノ・ハッタ空港は改装されて、大きくなったらしいと、噂では聞いていたが、本当に大きくなっていた。去年はコンチネンタルで、グァム島経由だったし、一昨年は飛行機から降りられなかったから、三年ぶりのスカルノ・ハッタ空港だ。動く通路が広い空港をつっきっている。荷物有りの私たちにはとても便利。最初に来た時とは比べものにならないぐらい、綺麗、広い、便利。あまりきれいなのでビデオを取っていたら、イミグレーションに遅れてしまった。

「まぁいいや…急いでる訳でもないし」

前にいるのは、こっちに単身赴任しているらしき夫に会いに来た、奥さんとお義母さんと赤ん坊、というグループ。向こうでだんなさんが手を振っている。それにしてもジャカルタの入国はけっこう時間がかかるなぁ。

ここでリコンファームをしたかったのだが、勝手がつかめずにぼんやりとイミグレに並んでいた。外人客(私たちだって外人だが)が、押し寄せていた場所があったけど、あそこだったのだろうか?外に出たらカウンターも何もなかった。 

クーラーのきいた空港を出ると、むっとした空気が身体を包んだ。かすかにガラム煙草の甘ったるい香りが、排気ガスに混じって流れてくる。夕方とは言え、さすがにインドネシアは暑いねぇ。ジャカルタで降りる日本人は、ほとんどいないようで、どやどやと歩き回る現地の人々の中、キャリーを押してツーリスト・インフォメーションへ向かった。
片言のインドネシア語で、ここでツアーの予約は出来るかと聞きたかった訳だけど、英語とインドネシア語のちゃんぽんでじたばたしたあげく、ここでは出来ないと言われた。私の英語は小学生程度の上に、インドネシアの英語はオージー系のなまりがあって、全然聞き取れない。おまけにジャカルターナのインドネシア語って、複雑で難しい!
これからホテルへ行くんだろう?だったらうちの車に乗れ、五十$でどうだ、といきなりふっかけられる。値切ってみたが、四十$から下がらない…にしたって、こりゃ高い。
四十$=四千八百円=八万RP(大体価値は0.6割ぐらい)
高いとわかっててボラれるのは嫌なので、さっさと逃げてタクシー乗り場へ行くが、ここでも一山ある。できれば素行の良いタクシーに乗りたい。噂のブルーバードタクシー(一番信用がおけるという話)に乗れないかなぁ。

周辺で所在無げにぼんやり待ってる人々は、みんな私と同じ目論見があるらしい。ぽつぽつとやってくるおっさんが、他の会社のタクシーで去り、次の並びの車がブルーバードになった途端に周囲の動きが早まった。私たちも急いで荷物を抱えて、次のブルーバードタクシーに乗り込む。サリー着たインド系のおばさん、ごめんね、お先にー。
乗り込むときに、空港の係員が苦情用のメモを渡してくれた。何かあった時に、これに記入して投函すれば、苦情を受け付けてくれるらしい。だからどうなると言う物でもないけど、あるとないとでは大違い、なのかな。
ジャカルタのホテルまでは約四十分の道のり。空港は都心から結構離れているらしい。暗くて見えなくなってきたけれど、ハイウェイの周囲は何とも綺麗に整備してあり、あちこちに人形が立ち並んでいる。なんか、公園みたい。看板にはスラマット・ダタン(いらっしゃいませ)の文字と、大きなコマーシャルのイラスト。ものすごい勢いで飛ばすタクシーの向こうに、赤い夕日が沈んで行く。明日も晴れるだろう。


空港からジャカルタ市内までの高速料金は、二種類あって合計RP5,900-。
ピンク色のカードをもらう

やがて今夜のお宿のプレジデント・ホテルに到着。タクシー代は、チップ込みで RP30,000。ツーリストインフォメーションではやはり、倍以上の値段をふっかけられていたらしい。ジャカルタのツーリスト・インフォメーションを利用するときは、気をつけなければならないようだ。紹介してくれるモノは、もしかしたら全部ふっかれられているかもしれないから。  
プレジデント・ホテルの立地は都心中央部、言うなれば大手町か赤坂か。周囲にはマンダリン・オリエンタル、ハイアット、ホテルインドネシア、そごうデパートがきらきらきら。プレジデント・ホテルは確かにハイクラスのホテルだけど、あっちには負ける。
着いたのは夕方過ぎで、ツアーデスクはすでにクローズしていた。フロント横のホテル付きのデスクで、明日のプロウ・スリブのツアーの予約をする。一流ホテルだもの、少々の無理はきくらしい。
プロウ・スリブは、(千の島々)と言う意味がある。ジャカルタの海に広がる、数知れない小島の総称だ。本当は千もないんだけれど、響きがいいじゃないか。比較的ジャカルタから近い、プロウ・アイルと言う島のツアーを予約する。他にも色々あるけど、とりあえずここでいいや。船にはあんまり強くないし、予算の関係もある。
リコンファームもついでにお願いして、外へ出た。夜になると正面にあるハイアットの眩しさが、いっそう増している。形も派手だが色も派手だ。まるでディズニーランド御用達のホテルのよう。
インドネシアのデパートは夜遅くまでやっている、と聞きかじっていたので、午後8時をすぎていたが、向かいのそごうへ出かける事にした。アジア方面で名高いSOGOは、香港支店に入った事がある。ここも噂に違わず高級品店街だった。高級ブランドのブティックが軒を連ねている。
「ケンゾーがある」
「NAFNAFだぁ、値段変わらないなぁ」
インドネシアの物価と比べたら、信じられないぐらい高い!少しは安いかと思っていた、私たちの完敗だ。高い物は、世界中どこへ行ったって高いって訳だ。
そごうからつながってるショッピングセンターも、比較的高級品指向かな。そしてどんな国へ行っても、私たちがまず最初に覗く場所といえば、本屋!(トコ・ブク)最初の本屋は輸入物専門店だったけれど、二件目にはインドネシア語の本がどっさり。インドネシア版の「アキラ」(AKIRA)「はいからさんが通る(ミス・モダーン)「生徒諸君!」(ポップコーン)などと言うタイトルが…。まるで場末の看板に描かれたみたいな、得体の知れない絵柄の「うる星やつら」「聖闘士・星矢」もあった。あと、「北斗の拳」「ミンミン」なんてのもあった。講談社系が多い。もちろん、「ドラゴンボール」はそろっていた。
SOGOは、不思議な構造になっていて、他のショッピング・モールと互い違いに売り場を作っている。1階と2階をざっと見た後、私たちは戻って行った。インドネシアの店内案内は、ビルの構造は書いてあっても、店の名前とかは全く記していない。私たちもあと少し、せめて3階まで、見て回れば良かったのに…ここで戻った事を、後で後悔するとは想像もしていなかった。
その後、1階にあったテキサス・フライド・チキンにて、夕食にする。ポテト・カットレット(コロッケ)とか、ナシゴレン(チャーハン)とか、珍しげな物を頼んで食す。どれも美味しい。日本のと比べると、脂身が少ないフライドチキンは柔らかくて、肉がしまっててティスティ。チキンを食べていると猫が寄ってきた。こんな都会のど真ん中、ファーストフードのテーブルの回りを猫がうろついても、誰もとがめないって、いいなぁ。ナシゴレンに付いてきた、あんまりおいしくない真っ赤なタコウインナをあげたけど、食べなかった。結構猫もグルメなんだろうか、それとも…あれは猫も食べない○○○な猫またぎ?
「ニャー」
もっとくれろと、催促された。
「はいはい」
私たちは、インドネシアでも猫の奴隷。

※食事料金※ 
フライドチキン RP 1,800×2
スープ     RP 1,236
サンドイッチ RP 3,550
コロッケ   RP  650×2
ホットティー RP  600
ナシゴレンセット RP 2,950

さて、明日は早朝にツアーのお迎えが來るはずだし、早く寝ましょう。テレビではスポーツクイズ番組がやってる。インドネシア・シンガポール・マレーシアとフジテレビでやってるはずの番組、「アジアン・バグース」はやってないのかなぁ。
寝る寸前になって、はたと気付いた事がある。
「…カメラにフィルムが入ってないよ!」
「何だとー」
それまでばしばし撮りまくってたカメラに、フィルムが入ってなかった事が判明。だーいショック!!!!